24.2.14

Y-project by Yohan Serfaty


Y-PROJECT by YOHAN SERFATYとの時間

Y-projectことYohan Serfaty,彼との出会いは今からさかのぼる事,もう何年になるのだろう。でも重要な事は知り合って何年という事ではなく、知り合ってから何をしたか?どの様に影響を齎しあえたか?という事なのではないであろうか?ヨハンはそんなデザイナーであり、哲学を語った。サンジェルマンに住み、カフェ・ドゥ・マゴを愛し、日本食を愛した。始めて出会った切っ掛けは、とあるイタリア・ローマをベースとするブランドがコレクションをスタートして間もない頃だった。私はそのブランドのデビューに深く関わっていた為、特にパリコレの際にはよく足を運んだ。そこで出会ったのが彼であった。斜めにかぶったニットキャップ、手足が長くやせ形て背が高いその彼は、落ち着いた物腰で、言葉は丁寧にゆっくりと大事に話す。そして彼の中には常に現代アートがあった。私自身もart poveraを始めとた現代美術にはとりわけ深い興味と関心があり、KounellisやTapiesのアートワークについて論議をした事を今でもおぼえている。

その頃の彼は、出会った当初は自身の名前YOHAN SERFATYでレディースのコレクションを展開していた。当時Temple通りにあったアトリエに弊社のメインバイアーと共に招待され、彼のワークスペースでお茶とマカロンを頂きながらコレクションを見た。そして、そのシーズンから取引が始った。その後メンズが発表される事となり、弊社のバイヤーがデザイナーと色々と話し合いながらリフト向けのカスタマイズをしてもらった。彼が作る服にはディテールと空気感が存在し、プレタポルテでありながらオートクチュールのような香りが漂っていた。それは彼がもともと所有している品位がコレクションに反映された証であろう。

弊社がダミール・ドーマの代理店をやっていた時にダミールに紹介しそれが切っ掛けで様々な仕事を行う事となった、音と映像のクリエーターであるAlessandroが東京から仕事のベースをパリに移す事となった。彼は移転後、直ちにヨハンとのコラボレーションがスタートした。感性があるもの同士のこういったコラボレーションは全く自然な形で始った。その頃にはコレクションは既にY-projectとりなっており、ヨハン自身が身を粉にして自己の仕事を構築した結果の名誉あるプロジェクトになった。映像と音楽の表現を身に纏ったコレクションはある意味ではネイキッドの純朴さを所有し、ある意味では戦かう為の鎧にもなった。

時が流た....フッと気が付くと、もう次のパリの出張を決めなければならない時期に差し迫っていた。そんな頃、一通のとても短いe-mailをパリの知人から受け取る。それはヨハンが他界した事を知らせるメールであった....戸惑いと信じられないという気持ちが交差する。そしてその後オフィシャルな通達が届く.....

しばらくするとY-project 2014 SSのプレゼンテーションとショールームの案内が届いた。プレゼンテーションはマレにあるユダヤ人の施設ユダヤ人美術館)で行われた。こういった場所でファッションデザイナーとして許可されるのはとても異例の事であるらしい。厳重なセキュリティーを抜け、会場にたどり着くとちょとした広場があり、その奥の部屋はプレゼンテーションのスペースだ。プレゼンテーションは自然光だけが入るユダヤ様式の部屋(とても天井が高い)に背の高い梯子(ラダー)が柱、柱に立てかけてあり、そのはしごの最上部にコレクションのピースが掛けてある。光を放ち、それはまるで天に向かう清楚な階段を彷彿させる。衣が特別な存在感を放ち、その空間に鎮座する姿は、もう長い間そこの住人であるかのごとく、がしかし、神聖なオーラを放っている.....

2014SSコレクションは彼の遺作となった。素晴らしいコレクションを残してくれてありがとう。GO TO SEE COLLECTION→Yohan Serfatyへのオマージュ→